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嵐吉三郎 (7代目)[しちだいめ あらし きちさぶろう] 七代目 嵐 吉三郎(しちだいめ あらし きちさぶろう、1894年(明治27)12月1日 - 1973年(昭和48)2月11日)は昭和に活躍した上方系の歌舞伎役者。屋号は岡嶋屋。定紋は三ツ吉、替紋は三ツ柏。本名は北村 弥之助(きたがみ やのすけ)。 東京の生まれ。生家は電気商。1908年(明治41年)10月に初舞台。1910年(明治43年)10月大阪の十一代目片岡仁左衛門に加わり片岡當之助を名乗る。1917年(大正6年)名題となり以後東西の舞台で活躍。 1928(昭和3年)2月大阪中座で七代目嵐吉三郎を襲名。以後関西歌舞伎で活躍。1958(昭和33年)大阪府民劇場奨励賞。1970年(昭和45年)勲五等旭日章を受章。1973年(昭和48年)1月大阪新歌舞伎座の『義経千本桜』の川連法眼が最後の舞台となる。脇役として活躍する。芸域は非常に広く、とりわけ宇野信夫監修、二代目中村鴈治郎と三代目中村鴈治郎と共演した『曽根崎心中』では油屋九平次を通算500回以上も勤め、生涯の当たり役といわれた。晩年は関西歌舞伎の凋落で思うように活動できなかった。 子は映画俳優・北上弥太郎としても活躍した八代目嵐吉三郎。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嵐吉三郎 (7代目)」の詳細全文を読む
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